2021ねん12がつ17にち(きん)

何かに囚われ続けている
周りの目?
何かを考えているつもりでいて、いざ文字に起こそうとすると頭の中がすっぽり空っぽ。
今も何が書きたいのかわからないままフリック入力している。
音楽を辞めてもいいかもな。別に要らないかもしれない。
そんなふうに思ったり、すぐその気持ちが撤回されたり、忙しいようで忙しくない、そんな日々。
帰りたくない。と思うのは、この生活がいいからというより、現実に戻りたくないというのが大きい。もちろん楽しいけどね。ご飯めちゃくちゃ美味しいし。
今の生活の中にあるのは、一日八時間を週五でする労働と、ギター、みんなで囲む食卓。後最近お出迎えした図書館で借りている本『オルタネート』と、買った編み物の本、ぐちゃぐちゃになった毛糸、長くて使いにくい棒針。
時間の流れがゆっくりなのではなくて、現実と向き合わなきゃいけないところから合法的に離れられるから、ゆっくりな気がするだけ。
合法的って何やねん。選ぶのは自分だろ。って話なんだけど。
帰ったら、帰ったら何をするのかしら。
バイト。一日五時間半週三回の労働。そしてライブに向けた練習。日々の発声練習にギターの基礎練、英語とタイ語にももうちゃんと向き合わなくちゃ。他の音楽にも触れて引き出しを増やさないと。
休学しての選択なのだからどれひとつとして強制されたものではなく、自分での選択なのに、なんだか現実に戻りたくない、という気持ちになる。
溢れかえるとどれもやる気が起きなくなる。というのは言い訳な気もするけれど。
ストイックな、ちゃんと頑張れる、それが当たり前な人と話していると、自分がすごくだめな人間だと思われているような気持ちになる。自分のことを喋れば喋るほど墓穴を掘っていく感覚。
久々の感じで、高校時代のことを少し思い出した。高校時代の息苦しさにはそういやそれもあった。みんなやって当たり前、頑張れて当たり前の空気。忘れていたことに少し驚いたけど、忘れちゃうんだよな。どうしても。
配信アプリを始め、なんかよくわからんけれど専属ライバーになりませんかの通知がアプリ内できた。SNSのDMとかでよくわからない怪しそうな人からくることはよくあってそれは無視していたけど、公式からなら話くらい聞いてみようと聞いてみて、少し面白いしデメリットはなさそうだからその場でやることを決めてしまいました。私が危なっかしいのはそういうところ。とも自分でも思うけれど、まあ今回は大丈夫だと思う。笑 とは言えど、実際になると色々と「こうしてください」「ああしてみてください」みたいなものはあり、思ってたより言われるんだなという感触。
でも確かに大事かなとは思うのと、配信アプリで頑張れば、本当に自分の音楽を届けたい人に届けられる確率が上がるなと感じたので頑張ってみようかなと思う。
そして改名をした。「那日マロ」可愛いでしょ!改名の際の人とのやりとりだなんだで少し心がぐらぐらと。
そんなこんなの今の生活と元の生活の狭間で動いているからか、ここ二日の精神状態があんまりよろしくなかったり。言うほど悪くはないけどね。寝不足と食べすぎが原因も全然あり得る。
「那日マロ」に変えたのは、今後のことを考えると「阿部有那」であり続けるのは少し怖いなと配信アプリを始めて漠然と感じたこと。そして「那日マロ」であったことを「阿部有那」に引きずりたくないな、同じ私だけど少し分離させたいな、一皮剥けたいな、私から抜け出したいな、とか色んな思いから。ずっと悩んでてそれでも改名しない方針でいたんだけど、なんかどんでん返しをしました。
インターン期間中何個も曲を作るつもりだったのだけど、一切作れていません。ちゃんと私はこの町と向き合えているのかしら。なんて少し思ったりします。あと明日明後日そして明明後日の朝までのお付き合い。もう少しちゃんと心の目で見れたらいいよね。戻ったらもしかしたらもう二度とここに来ることはないかもしれないのだし。(なによりすごく交通の便が悪くて行きにくい)
自分の感情のアップダウンの大きな原因は周りの反応に結構あったりして、そんな自分に飽き飽きしたり、疲れたりする。自意識過剰にも程があるのです。そんなんならどこかもう周りの目も何も関係ないところで生きて行きたいけれど、結局どこに行っても人とのつながりはあって、音楽じゃない何かをしていても気になってしまう。それなら自分がどれでなら一番気になってもへこたれずに頑張れるか、なのかな。
自分で自分の機嫌は取れるようになりたいね。
編み物完成できるかな。はじめの一歩すら着地させてもらえなくてんひぃぃぃってなってる。始められてすらいない。
でも頑張ってみたいな。
関係ないけど物販で売るグッズを一個作りました。可愛いのができたの。
なんか物を作るのはやっぱり楽しいなと思ったよ。
物作りもいいね。
インターン先で出会う人たちは「田舎で生きる」ことをテーマにしているような人が多いけれど、それは私のテーマにはきっとならないだろうなと思ったよ。川の流れになりたいです。が、なれないので、自分なりの生き方を探す。
配信アプリの自己紹介文を考えながら、自分は音楽でどうしたいのかを改めて考えていた。
有名にならなくてもいい、でも誰かに聴いてほしい。私が私の歌を本心で歌えなくなる日がいつか来ても、その曲が、この足跡が、誰かの心に届いて、誰かの目に入って、少しでも救うことができたら。少しでも前に進むきっかけになったら。
まあ前から言ってることとあんま変わらんのだけど。
でもそれを実現するには結局多くの人に曲が届くようにならないといけないわけで、有名になっていかんと叶わんのです。
田舎暮らしもいいけれど、自分が満足するだけでは意味がないんじゃないかみたいな、すごく論理が飛躍しているのはわかっていて、どの仕事にも誰かのためになっていることはわかっているんだけど、そんなことを漠然と思ってしまう。
「誰かのために生きなきゃいけない」
周りの目に囚われている。
人の価値観に囚われている。
自分の価値観に囚われている。
誰かのために生きるって何やねん。でも、自分のために生きるって何だろ。自分のためだけにみんなが生きたらこの世界は成立しないのに。
性善説を信じたいけれど、そうもいかない。自分の中にも汚い自分はいるし。いっせーのせで武器を下ろすなんて理想を掲げて生きていて、それができたらいいとは思うけれど、いつか誰かが「やっぱやーめた」って持ってしまったら、また。
なんで人はいるのかしら。なんで生きているのかしら。なんで地球はあるのかしら。そもそも宇宙が広がり続けているってどういうことかしら。永遠に続くものはないのだと思う。永遠に続きそうな明日もいつかはきっと終わりを迎えて、無に戻る。当たり前は当たり前じゃないんだよたぶん。なんて宗教ちっくなことを考えてしまうから、私は宗教のことを調べてはいけないと思う。()危ないものに引っかかりそう。
誰かの背中を押せたらなんて思ってる私がふらふらふらふらロトウニマヨエールくんなのだから、説得力ないかな。笑 一緒に悩みながら、ふらふらしながら、でもなんやかんやきっと生きてて楽しいことも多いから、一緒に生きてみない?アホらしいと思うこともあるけど、それでも堪らないくらい笑える日もあるし、その可能性をさっさと手放すのは勿体無いんじゃない?きっと自分の人生を自分の力でもっと面白く楽しくする方法はあるはずだから。って思いでやっていけたら。
もうわけがわからないの骨頂。少し編み物をして寝ようと思う。
支離滅裂。
……
最初は無!!ムー ビックバン!!!
(ままごと『わが星』より)