なつやすみ124日目

2021ねん11がつ17にち(すい)はれ

 今日は朝バイト!午後はしばらく音楽をやって、16:00前に家を出た。


 前のライブで対バンしたうちの三人が路上ライブをやるってことで、新宿まで行きました。

 新宿はすぐ止められちゃって高円寺に移って、いよいよライブ開始!!

 三人ともとってもとってもとっても素敵だった。それぞれがそれぞれの良さを持っていてずっと楽しくて耳が幸せでした。

 歌上手くならねえとな、と改めて思わされる。

 私だったらどんなセトリを組むかなとかも考えながら、ワクワクしながら観ていました。


 今日新宿に行くために最寄り駅まで歩く道で半分脳死で少し考えてた。どうして私は音楽をやるのかな、本当に好きなのかな、本当にやりたいものなのかな、とか。

 これは不定期に、いや、定期的に、もしかしたらずっと、考えてること。

 歌うのは好き、昔から好き。だけど、変に固執してるんじゃないかとも自分でも思う。

 次のライブのセトリが決められない。これをやりたい!!が今はあまりない。

 辞めちゃえよ、どうせそんなもんなんだろ、いいじゃん、もう、って深くもなく、軽く頭の中でそんな言葉を並べてた。

 でも結局今日の路上ライブを観てやっぱり私もやりたいってなった。

 よくわからないね。

 大きな夢を、明確な夢をしっかりと自信を持って抱けている人は本当にすごいな。

「思い込みでも良い、フリだって良い、君も私も幸せなら良い」

『religion』のこの歌詞はそんな私も認めてあげたい、そんなあなたも認めてほしい、そういう歌詞。

 本当の気持ち、なんてなかなかわからない。気持ちはまだわかるかもしれないけど、自分の真の望みなんてわからない。


 バイトからの帰り道ハニワの曲を聴いていた。めっちゃいいんだよね。supercellを聴いてても思うんだけど、楽器の種類が多いけど、ちゃんとどれも必要なものなの。それですごく満たされるような気持ちにしてくれる音。こういう音楽の一部になりたい。自分はでもそういう歌を歌うには音域が足りない(高いんよなあ)から、気持ち良くは歌えないな。それならベーシストでも良いななんて久々にベースのことも考えた。

 よくわからないね。笑

 でも本当はそういう曲を気持ち良く歌えるようになりたい。良い曲を気持ち良く歌いたい。


「何にもなれやしないよ、そう言って目を伏せた私の中に、本当は何にもなりたくない自分がいた」(『今日』という曲の歌詞)

これは本当に思うことって言うと「本当に?」と聞かれる。

 本当にそう思う。何にもなりたくないというか、何もしたくないというか。

 でもそう思う自分の並行して何者かになりたい自分もいる。結局周りの目を気にしている。なんやかんや、たぶんずっと。

 大人になりたくない、とそう思う反面、さっさと社会に包括されてしまいたい。と思う自分もいる。

 そこでは私は確かに何かの役割を与えられ、自分が何者でもないのではないかなんて悩みから解放される気がするから。解放されるというか、考える余地をなくされるというか。

 でもたぶんずっと変にソワソワする、自分のやりたいことができていないって。

 何もしたくない、も確かな思いだけど、もしも水族館の中で生きる魚に私がなったら、きっと途中でつまらなくてそれこそ生きる意味なんてないってなるんだと思う。面倒くさいね!!


 やるならば大きな夢を、大きな志を持たないと人はついてこない、それは確かだと思う、何かある人は輝いてると思うのだけど、必ずしもそうでなければならないのかしら。フラフラしているのも人間らしいでしょ?それでもきちんと輝けるようになれたら、もっとみんな生きやすくならないかな、なんて自分の考えを持ってます風に言っても、怠惰の言い訳でしかないのかなって思ってしまう。

 怠惰は悪いことなのかな。楽は楽しいとは別物、むしろ逆といった主張を最近ツイッターで見かけて、その通りだと思いながら色々と練習を重ねています。(楽と楽しいは違うはちゃんと自分でも元々考えてはいたけど)生きる意味を、やりがいを何か掴むためにはしっかりと向き合うことが必要条件だとは思うのだけど。言ってみればとってもシンプルだけど、その一歩が実はとっても難しいのだと思います。良い悪いで考えて嫌になっちゃうのやめたいな。


 何がともあれ、路上楽しかった!!観に行ってよかった!!

 明日もバイト、頑張ろ!!!

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